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1980年、当時のジーンズ業界には早すぎた究極のジーンズがビッグジョンから発表された。
それが“RARE-レア-”である。
時代は力織機からすでに高速織機にとってかわり、クラフト感のあるザラザラとしたデニム生地が世の中から消え去っていた。
しかしビッグジョンは工場でホコリを被り眠っていた力織機を1台1台掘り起し、昔のようなザラ感のあるしっかりとした感触に加え、今までにない世界最高峰のデニム生地を創り出そうとプロジェクトを発足させたのだった。
そして幾多の苦難を乗り越えてできたのが世界初の人工的ムラ糸で織られた15ozのレアデニムであった。鉄板のように堅く、足を通すのもひと苦労するような生地。それはどこか懐かしくも新しさを感じたという。
またデニム生地だけでなく、ボタンやリベット、ファスナー、そしてフラッシャーの細部に至るまで徹底的にこだわりにこだわり抜いた。
特筆すべき点は「WRENCH PROOF」というパターン技術を開発し採用したことだ。力織機で織られた未洗いのデニムに生じるネジレをあらかじめ計算し、何度か洗った時に裾がまっすぐになるという画期的な技術であり、特許を取得している。
しかし一部の業界ではかなりの衝撃を与えたものの、値段は当時の一般的なジーンズプライスの3倍もする18,000円という常識を超えたものであり、世間に広く浸透することなく、80年代の終わりとともにその影を潜めていった。
しかし本当にRAREが世に衝撃を与えたのは90年代に入ってからである。
古着のジーンズが見直されヴィンテージブームが到来し、縦落ちするセルビッチ付きのクラフトデニムに突然のごとく脚光があたった。ヴィンテージブームが来る10年も前に完成したデニムが、奇しくも10年後に脚光をあびることとなったのである。
その後、復刻やレプリカなどに注目が集まり、日本が誇る高品質のジャパンデニムを世に知らしめたのである。
ゆえにRAREは"10年早かった究極のジーンズ"と言われるが、裏を返せば今日のジャパンデニムの品質を“10年早めた先駆的なジーンズ”とも言える。
「Quality Comes First -品質はすべてに優先する-」というビッグジョンの理念をそのままジーンズに具現化したのがRAREであった。
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新レアのデニム生地をつくるにあたってまずスタートしたのが糸の開発であった。
どこの産地のどの綿を、どの割合でブレンドするのか、糸の番手や撚系数など様々な要素によってその糸の性質、およびデニム生地の性質に直接関係してくる。それは着用した時のハリ感であったり、穿きやすさであったりと、着用感の善し悪しを左右することを意味する。
我々は新レアデニムにふさわしい糸の開発をするべく、大阪府にある「旭紡績株式会社」を訪れた。旭紡績は明治16年に紋羽紡織業から発足した歴史ある紡績会社であり、そこに最高峰のデニム生地の原糸を求めた。
そこでまずは今後の行方を大きく左右する綿の選定である。
世界の様々な綿を目の前にし、触ったり伸ばしたり、色を比較したりと、産地によって全く異なる綿の性質をまず知ることからスタートした。
目指すひとつの生地として、60年代初期のCANTONの生地を参考にした。
ビッグジョンの前身であるマルオ被服では、CANTONの製造販売を行なっていたが、その頃製造していた当時のCANTONジーンズが、今でもビッグジョン社内資料として大事に保管されている。そのデッドストックの1本を分解し、糸の分析を進めた。
ただし、この頃の生地のハリ感、肉厚感を目指すことに加え、現代の要素を付加することが必要不可欠だということにすぐに気付いた。
それは我々が求めていた糸の理想が、「足を通すと柔らかく穿きやすいけれども、スルメのように穿けば穿くほどハリ・コシが戻るような肉厚感のある生地」であったからである。
当時のCANTONの生地は肉厚でハリ・コシがあり、非常にジーンズらしい生地だけれども、着用感という面では乏しい。このハリ・コシを残しながらも、穿き心地の良いデニム生地がやはり理想である。
一見矛盾したようにも思える我々の要望であったが、これを実現できるにふさわしい綿とは何か?ということを何度も打ち合わせを重ね、最終的に数ある綿の中で選んだのが米綿であった。
しかしただの米綿ではない。繊度が通常のものよりも太い、ある二種類のアメリカ綿をブレンドしたもので、繊維長も超長綿よりやや短い長綿と呼ばれるものを選んだ。このグレードがジーンズらしい顔と、着用感に影響するしなやかさのバランスが一番良く、我々が求める糸に限りなく近いものが出来ると確信したからだ。
そして表情は、ヴィンテージデニムの雰囲気は持ちつつも、ムラ・ネップ・ケバを抑えた現代の生地を探求し、糸の撚系数やムラ形状、経糸と緯糸の番手など、黄金比率のバランスを求め、1950年代の紡機を使用し、2009年某日、ついに糸が完成した。
米綿100%を使用した、経糸 6.5番手・緯糸 6.1番手の極上の糸である。
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周知のとおりデニム生地とは染色された経糸と、染色されていない緯糸が綾織りで織られているものであり、この経糸の染色の段階で製品自体の顔を決定づけると言っても過言ではない。
またヴィンテージデニムが色落ちした時に醸し出す縦落ちとは、糸のムラ形状や織り、経糸の中心が染まっていない「中白」によって生み出されるものである。
では我々が理想とする色落ちとは何か?
皆で話し合った結果、「色移りはしないけれど、色落ちはしていく。そして穿き込むことで適度な縦落ちが現れてくる」ことであった。
その理想を持って、広島県福山市にある坂本デニムを訪れた。
坂本デニムは1892年藍染め工場からスタートし、藍染めの技術の継承や、デニム糸の染色加工を一筋に行なっている会社である。
また、会長である坂本恭士氏は紺綬褒章(1983年)・黄綬褒章(1990年)・勲五等瑞宝章(1999年)を受章し、"藍聖(らんせい)"と呼ばれ、藍染め・デニム染色の世界において第一人者である。
坂本会長に経糸の染色について相談をしたところ、「他に作れるものを作っても意味がない。他ができないことをやるべき」という意見をいただいた。
たしかにレアは革新性を備えなければレアではない。
誰もやらないこと、誰もやれないことに挑戦するのがレアの精神であるのだから。
そして坂本会長曰く、長年試行錯誤を重ねて開発してきた染色技術がようやく完成したという。
その染色技術とは、「本藍の藍色を、ピュアインディゴのみで再現すること」であった。
つまり人工的に本藍染めと変わらない藍色を出すことができるという。
さらにいわゆる本藍染めのデニムの場合、かせ染めという手法で染められ、糸の中心まで染まってしまうために、色落ちした時にボヤっとした顔つきになってしまう。
しかしこの新開発の技術を使えば、一般のデニム染色と同じロープ染色で行なうことができ、中白の経糸が可能となり、ヴィンテージデニム特有の縦落ちも生まれるのである。
シンプルに言うと、" 縦落ちする藍色デニム "である。
しかも目指す藍の色にも相当なこだわりがあり、坂本デニムが資料として大事に保管している、江戸時代の槍先覆い(ヤリの刃先のカバー)が理想の藍の色だと言う。
何百、何千という藍を長年見続けてきた坂本会長が「最高の藍色」と称した色を、デニムの経糸として再現することとなった。
何度も何度も試験を重ね、日本の伝統色である藍色の経糸が実現。
もちろん「色移りはしないが、色落ちはする」という当初の我々の願いも兼ね備えたものでもある。
まさに日本のクラフトマンの技術が注ぎ込まれた素晴らしい経糸の完成である。
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坂本デニムで染色された経糸を用い、最高のデニム生地を織る過程に突入した。
我々が向かった場所は岡山県井原市。デニムの産地で全国的に有名な地域である。
そのとある一画に株式会社シンヤの工場がある。シンヤは現在でも数多くのセルビッチ生地を織っており、多くのメーカーがその経験と技術に信頼をおく機屋である。
工場の戸を開ける前から織機のもの凄い音が聞こえてきて、一旦戸を開けて中を覗くと、40台ほどの織機が一斉に甲高い音を鳴らしてひたすら生地を織っており、1メートル離れれば会話できないほどの大きな音である。
聞けば織機は70台ほど登録しており、その中で40数台ほどが可動しているのだそうだ。肉厚感がありながら肌離れがよく、穿き心地の良いデニム生地を織るため、その中から我々の要望に叶う織機選びが始まった。
可動している40数台の中から最終的に選らんだのが、昭和30年代のシャトル織機。最もゆっくりと織り上げる織機である。
そして打ち込み本数などを確認し、織布の作業が始まった。
生産効率の悪いと言われるセルビッチの生地であるが、今回は開口を広げて経糸にゆとりをもたせ、通常のセルビッチ生地よりもさらに1割も効率を落し、じっくりと織り上げたのだ。
織り上げられたそのデニム生地は「BIG7055」というBIG JOHNオリジナル品番がついた。
15.5 ozの肉厚感がありしっかりとした、最高峰のデニム生地の完成である。
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藍聖デニムという最高の生地が完成した。
しかしそれはすぐにポケットスレキの製作に入ることを意味する。
通常使っているスレキを用意すればそれで済む話であるが、妥協のないモノづくりを掲げているレアにおいてそれはあり得ない選択肢。
藍聖デニムと同様、「しっかりとした手触りがありながら、手を入れると柔らかく感じ、着用に影響しない極厚のスレキ」を目指すことが命題であったからだ。
そこで協力を求めたのが、ビッグジョンと同じく倉敷に本拠地を構える(株)タケヤリであった。タケヤリは1888年に創業し、帆布や厚地の資材を生産する日本の織布工場の歴史そのものである。
通常薄さが求められるジーンズのスレキ。我々の要望する極厚スレキを実現するにあたって、厚地を得意とするタケヤリ以外には考えられなかった。
いろいろ打ち合わせをした結果、普段は帆布を織っている厚地用のレピア織機で織り上げ、いくつか試作品を作ってみることになった。
通常の綿スレキでは20番手×20番手の2/1綾が一般的であるが、今回使用する糸はそれを遥かに超える藍聖デニムと同じ糸、つまり6.5番手×6.1番手の太番手であり、その糸を使って試作品では、2/1右綾・3/1右綾・2/1左綾・3/1左綾の計4パターンを製作した。
そして最終的に選んだのが3/1右綾のスレキ。
これが一番肌触りがよく、しっかりとした感触もあり、理想的な生地であった。
さらに本番では打ち込みを減らし、凹凸感がありしっかりとした手触りを感じつつも、柔らかさを極限まで高めた、レア専用完全オリジナルの極厚スレキが完成した。
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レアをつくる材料はこれで全て整った。
あとはそれをどう組み立てて、一本のジーンズを作り上げるかということである。
レアのシルエット、デザイン、付属、縫製仕様など、何度もサンプルを作っては修正し、また作っては修正していくという作業を果てしなく繰り返した。
ジーンズの材料だけでなく、組み立て方にも革新性を問い続けたからだ。
「良いジーンズは毎日穿きつづけたくなるものである」という信念から、「毎日穿きつづけても永く穿ける縫製仕様」に徹底的にこだわった。
それは、ジーンズでは当然のように使われる環縫いを今回は一切使わず、本縫いだけで縫製した仕様に代表される。
そう、レアは高級品ではなく、愛着品として穿いてもらいたいからだ。
一見、普通の5Pジーンズと同じように見えるかもしれない。
工程だけ比べても通常の5Pジーンズの倍は優にかかる。
けれどよく見てみれば、いや、穿いてみれば一番その違いがわかるだろう。
技術がつめ込まれたジーンズというのは、穿いていくことでその技術が顕在化されてくるからだ。
この異例とも言える縫製を行なったのは、山口県熊毛郡にあるビッグジョン平生工場である。
いや、このように技術も手間も異常にかかるジーンズは、直営工場だからこそできることかもしれない。
本番の縫製に入る前にも足を運び、最後の最後まで徹底的にチェックを行なった。
ひとつひとつ丁寧に裁断されていくパーツ、そしてそれを巧みな技術で縫製していく。
それを穿く人の喜ぶ顔を思い浮かべながら。
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